関東芸人はなぜM-1で勝てないか
10年ぐらい前、
オリエンタルラジオ(略してオリラジ)が「武勇伝以外にも漫才できるンだぞ」と漫才をしていた頃、
オリラジの漫才ライブのDVDを観た。
確か、タイトルは「我」。
そのDVD特典に、
オリラジとブラックマヨネーズ(略してブラマヨ)の
居酒屋での対談が収録されていた。
ほぼ、中田敦彦と吉田敬が喋っているのだが、その中で、中田が
「ブラマヨさんにしか出来ない漫才」と
ブラマヨの漫才へのリスペクトな気持ちを
熱弁していた。
その人にしか出来ない漫才。
=(イコール)その人のキャラを生かした漫才、
自分の容姿を自虐するようなネタとか、
それが良い漫才なのだと、
それ以来、俺は勝手に意味を変換して解釈していた。
事実、オリラジはその後、
自分たちにしか出来ないネタ(ネタかあれ?)、
PERFECT HUMANで
何度目かのブレイクを果たし、
NHKの紅白にまで出た。
時は過ぎ。
最近、ナイツ塙宣之の本
「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないか」を読んだ。
その中で、
自虐ネタは、いけないと
説いている。
俺は、キャラを生かした漫才=
自虐ネタ最強!だと思っていたから、
衝撃を受けた。
言われてみると、ダウンタウンのネタもウッチャンナンチャンのネタも、
しっかりとした世界観がある。
ネタとは、落語のように、
誰が演じても面白くなるもの、
それが究極のネタだ!そうだ。
逆に、自虐ネタは、TVなどのフリートークと同じで、ある程度、認知度のある芸人が、そのアドバンテージで笑ってもらえて、ネタの作り込みが甘くなってしまう、ものだと言う。
ちなみに、トレンディエンジェルのハゲネタは、自虐ではなく、自己アピールだから、良いらしい。
更に、無駄に情報量の多い自己紹介はネタまでの入りを遅くさせるし、その自己紹介がネタのインパクトを薄めてしまうから、ダメらしい。
ふむふむ。
一年に一回のM-1を楽しみにしている俺には、
とても勉強になーる。
草野球をするおじさんが、プロ野球選手を評論するように、
今年は、俺もM-1審査員のつもりで、
漫才を審査するぞ。
ま、奥さんからは
「副音声、うるさいなー」
と言われるけど。
(追記)
確かに、仲間の容姿をイジったり、自らの自虐ネタは、
金曜日の居酒屋なんか行けば、
あっちの席でもこっちの席でも、
行われている日常だ。
でも、町の人気者も、自称ひょうきん者も、
ネタを作り、演じることは、
難しい。
ネタって言うものは、
それだけ、難しい。