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成龍(ジャッキー・チェン)/新日本プロレス/キン肉マンなど趣味の話をします。

ジャッキー・チェンとは ~ジャッキー映画の歴史~

<<ジャッキー・チェンとは ~ジャッキー映画の歴史~>>

1954年4月7日生まれ(※2018年現在64歳)。本名、陳港生。
貧しい家庭の事情で、中国戯劇学院に7歳から預けられ、京劇と中国武術を10年間学ぶ。
ジャッキー・チェンは、この時、文字の読み書きを学ばず、スターになるまで読み書きができなかったと言われている。

17歳で学院を卒業後、スタントマンとして生計を立てるが、ブルース・リーの死後、仕事が激減し、父のいるオーストラリアでコックなどの仕事に就く。
そのような状況の中、(後にジャッキー・チェンのマネージャーになる)ウィリー・チェンの推薦で、ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』を監督したロー・ウェイの『新精武門(レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳)』で主演を果たす。
その後、ロー・ウェイ監督作品『少林寺木人拳(1976年)』『成龍拳(1977年)』『拳精(1978年)』などが香港で公開されるが、ことごとくコケる。

ジャッキー・チェンは、ロー・ウェイプロの「疫病神」とまで言われ、シーゾナル・フィルム社に2本契約でレンタルされる。
シーゾナル・フィルム社で、ユエン・ウーピン監督と作ったのが、『スネーキーモンキー蛇拳(1977年)』と『ドランクモンキー酔拳(1978年)』であり、
今まで暗い復讐劇が多かったカンフー映画に、笑いの要素を取り入れ、映画は大ヒットする。
(ちなみに、ユエン・ウーピン監督は、後に『マトリックス』のアクション指導を務め、ハリウッドにアクション革命を起こす。)

日本でも『ドランクモンキー酔拳』は、東映配給で『トラック野郎・熱風5000キロ』と同時上映され、スマッシュヒットとなる。
それを受け、過去作が、続々と日本公開された。香港ではウケなかった『少林寺木人拳』だが、『少林寺木人拳』はTV放映翌日に日本中の子供たちが木人のマネをするなど、ジャッキー・チェンは、日本でも新たなカンフー映画スターとしての地位を築く。

アジアのスターになったジャッキー・チェンは、ロー・ウェイプロからゴールデン・ハーベスト社に移籍をしようするが、
契約の問題で揉め、ジャッキー・チェンはトライアッズ(香港マフィア)に拉致までされる。
それを解決してくれたのが、ブルース・リー登場以前に天皇巨星とまで言われ黒社会の人間であるジミー・ウォングである。
その恩があり、ジャッキー・チェンは、ジミー・ウォングの珍作(『ドラゴン特攻隊(1982年)』『炎の大走査線(1991年)』)にノーギャラで出演している。

ジャッキー・チェンは『クレイジーモンキー笑拳(1979年)』で、監督業にもチャレンジし、確実にキャリアを重ねる。
ゴールデン・ハーベスト社に移籍し、監督・主演した『ヤングマスター/師弟出馬(1980年)』は、当時の香港の史上最高額の興行収入を記録し、
ジャッキー・チェンカンフー映画・香港映画の頂点を極めた。そして、この『ヤングマスター/師弟出馬』を最後に、「脱カンフー映画宣言」をする。

ブルース・リーを世界的スターにしたゴールデン・ハーベスト社のレイモンド・チョウ社長は、
ジャッキー・チェンを「アジアのジャッキー・チェン」から「世界のジャッキー・チェン」にしようと試みる。
その世界進出第1弾が『バトルクリーク・ブロー(1980年)』である。監督はあの『燃えよドラゴン』のロバート・クローズ、音楽はラロ・シフリン
と最高の陣営で挑んだ世界進出だが、映画はコケる。

ジャッキー・チェンは『バトルクリーク・ブロー』の直後、ハリウッドで活躍するスターを集めてゴールデン・ハーベストと20世紀フォックスが製作した『キャノンボール(1980年)』に出演。
日本人レーサー役を演じたジャッキー・チェンだが、ハリウッドスターの中で雑な扱いを受けたことを、自伝で嘆いている。
(だが、ジャッキー映画でおなじみのエンドロール時のNG集は、この映画をヒントとしている。)

続く(かもしれない)。

 

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WHO AM I?(フーアムアイ)

『WHO AM I?(フーアムアイ)』(香港公開1998年、日本公開1999年)

90年代のジャッキー・チェン映画の中では、ファン人気の高い作品。
(個人的には、90年代なら『酔拳2』『ポリスストーリー3』のほうが好きだけど…)
てなワケで、人気の理由を僕なりに説明します。

<<人気のある理由>>

①ジャッキー映画では珍しいサスペンス要素!
主人公であるジャッキーは、記憶喪失であり、その謎を追う面白さがある。
ボーン・アイデンティティー』がパクったとか、パクってないとか。

②久しぶりのタイマンバトル!
正確には、1対2(敵2)のバトルであるが、1人ずつ順番に闘うため、久しぶりのタイマンバトルが楽しめる。
それも高層ビルの屋上でのバトルで、ドキドキします。

③高層ビルからの滑走ダイブ!
これまた久しぶりの命がけスタントがクライマックスを盛り上げます。

てなわけで、『WHO AM I?』には幾つかの見どころがあり、
とってもジャッキーらしいジャッキー映画です。
人気の理由も分かります。

 

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我が青春のマイアイドル映画『スパルタンX』

ジャッキー・チェンの代表作と言えば
酔拳』『プロジェクトA』『ポリスストーリー』あたりが、
内容的にも世間の評価的にも、一般的だと思う。
僕もそれに異論はない。
映画史に残る名作と言っていい。
だけど、そんな世間的な評価とは別で、
僕が愛するジャッキー映画がある。それは、
我が青春のマイアイドル映画『スパルタンX』。
  

◆愛するポイント1.ユキーデとのタイマンガチバトルが熱い!

ジャッキーと言えば、その場所、物(小道具)を使った小気味いいアクションが有名で、
喜劇王チャップリンバスター・キートンの後継者とも言われる。
ブルース・リーとは真逆のキャラクター。
そして、この頃のジャッキー監督作のクライマックスは、
「1人vs多人数」というシチュエーションが多かった。
しかし、このスパルタンXのクライマックスは、
「1人vs1人」のタイマンガチバトルなのだ。
それも、相手が、元アメリカンキックボクシング王者の
ベニー・ユキーデ。
そのバトルは、アクション映画史の中でも
ベストバウトと絶賛する人も多い。
(僕も1番好きな闘いだ)

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◆愛するポイント2.アイドルの青春映画なのだ!

この映画は、異国スペインに住む中国人青年2人の
青春映画でもある。
青年2人の日常を描き、
→スペイン女性に恋をして
→実はそのスペイン女性はお姫様で
→悪い奴にさらわれたお姫様を助けに行く
→事件が解決して、日常に戻りハッピーエンド
と、物語の流れが青春映画のフォーマットそのものなのだ。
撮影時、まだギリ20代であっただろうジャッキー(当時29?)、
バリバリ20代だったユン・ピョウ(27?)は、
日本ではアイドル的人気があった。
(この頃、香港BIG3日本武道館コンサートも行っているぐらい)
まさに、アイドルの青春映画なのだ!

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◆愛するポイント3.夢のBIG3競演!

ポイント2でもふれたように、
アイドル人気絶頂のジャッキー、ユン・ピョウに加え、
サモ・ハン・キンポーと、
この映画には、当時の香港BIG3が出ている。
(監督は、安定のサモハン)
ジャッキーとサモハンの関係を語ると
長くなってしまうが...
簡単に説明すると、3人は、
子供の頃から同じ京劇学校で、
修行した(虐待された?)仲間である。
その後、3人それぞれがスターになったが、
勿論、息もピッタリなのだ。
(サイクロンZ以降、競演もなくなるし)
夢のBIG3競演と言える。


と、まあ、公開当時、小学生だった自分と
その時代背景など、様々な要因もあると思うので、
他人に「絶対おススメだよ!」と言えないが、
とにかく大好きな映画の1本だ。
(ちなみに、見るなら、日本公開版がおススメです。)
 

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