映画のこととか趣味の話 KOJIFBLOG

成龍(ジャッキー・チェン)/新日本プロレス/キン肉マンなど趣味の話をします。

ジャッキー・チェンの呪いの話

<<2018年12月03日>>

僕が小学校の低学年から、『キン肉マン』と共に夢中になった『ジャッキー・チェン』。
子供の頃から、ジャッキー・チェンの映画は、欠かさず劇場で観ているし(先週の木曜日も『ポリス・ストーリー/REBORN』を観てきた)、
自分の息子の名前も、ジャッキー・チェンの漢字表記「成龍」を逆にして、「りゅうせい」と名付けている(僕はそんなイタい親である)。

そんな息子りゅうせいは、今年の夏、転んださいに後頭部を強打、意識と記憶をなくし、救急車で運ばれた。
これは危ない、受け身を覚えさせねばと思い、秋ごろから柔術を始めた。
最近は、後ろ受け身も前回り受け身も、だいぶうまくなってきたなあ、と思っていたら…
先週の金曜日に、学校で鉄棒から落ち、顔面を強打、鼻を骨折した。
前受け身は、習ってなかった(涙)
顔は、前田日明の後方からの顔面キックを受けた長州力天龍源一郎戦後の神取忍のようなお岩さん状態。
自分の顔が変わってしまったことに、僕に似てネガティブな息子はショックを受けていた。

金曜日に脳のスキャンなどを行い、土曜日は形成外科で診察した(今年2回目の順天堂大学病院)。
わが加藤家は、毎年公認サンタと家族写真を撮るのが恒例になっているのだが、土曜日がまさにその撮影日で、息子は写真を拒否した(今年の写真は奥さんと娘だけに)。

そんな落ち込んでいる息子だが、月曜日に小学校で上級生やら多くの子にイジられるだろうから、免疫をつけようと日曜日に柔術道場のクリスマス会に参加させてみた。
本当は、この日、練習試合をする予定だったが、それはキャンセルした。

道場に入ると、鎌倉道場のイケメンTさんがいたのでご挨拶したら、「先生も鼻の骨を折ったことあるよ」と息子に心強いお言葉。
健一も「俺もこんなに顔面が腫れたことあるよ」と言ってくれた。

ただ、子供の世界は、素直なぶん、残酷なもの。
いつも一緒に練習している子も、目の前に息子がいるのに、声を掛けるわけでもなく、幼少期のウォーズマンでも見るかのように、冷ややかな視線を向ける。息子もそれを感じ取って、自分からは声を掛けない。

あとから、Iくんのママと怪我の話をしたら、うちの息子が目の前にいるのに、「今日は、りゅうせいくん、来てないね」とIくんと話していたらしい。うそだろ。子供たちは、あの顔が息子だと認識できなかったのか。声を掛けていいものか、躊躇していたのか。

息子よ、ドンマイ。

話しは逸れるが、息子とIくんは、顔が似ている。
確か、ドッペルゲンガーでは、自分に似た人間を3人見たら「死ぬ」という都市伝説があったと思うが、
Iくんは、危うく、3人目に遭遇するところだった(笑い)

息子も同じ道場の子の練習試合を応援して、熱くなって「(自分も)試合に出たい!」と言っていたし、
最初は集合写真にも写りたくないと言っていたけど、今の顔を笑い飛ばしたほうがいいよ、と集合写真にも参加した。

最後は、前向きになって、今朝も学校に登校して良かった。

ちなみに、ジャッキー・チェンは、鼻の骨を4回折ったらしい。
そういえば、『サンダーアーム』では、木から落ちて、頭蓋骨を骨折してたな。
これは、ジャッキー・チェンの呪いだわ。
こりゃ、まだまだ怪我するぞ…(涙)

 

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ジャッキー・チェンのオフ会の話

<<2018年12月18日>>

先週の金曜日は、ジャッキー・チェンのオフ会(?)に参加してきた。

ジャッキー・チェンのオフ会には、
TOHOシネマズ営業本部で番組編成してるMさん(ジャッキー・チェン映画のイベントで存在は知っていた)とか、
ジャッキー・チェンのムック本にグッズを提供しているKさんとか、
ジャッキー・チェンが来日したらホテルで出待ちしてタクシーで空港まで追いかける人とか…
皆さんガチもんでした。
ホントなら、のどごし生のCMでジャッキー・チェンと共演するという夢を叶えた石田さん、ジャッキーちゃんも来る予定だったとか。
俺が知らなくて申し訳ないけど、有名な声優さんもいた。
参加者15名(ほぼコミュニティが完成されている)、そんな中、はじめましての俺。

開始時間を勘違いし、15分早く到着したこともあり、始めは、孤独で地獄のような空気だった。
が、俺の息子の名前がりゅうせいであり、その息子が鼻の骨を折ったという、テッパンのジャッキージョークで自己紹介。

俺も生ジャッキー・チェンに会ったことがあるが、そんなことは何の自慢にもならず…
(逆に、ジャッキー・チェンって、そんな頻繁に会えるものなのか!?と驚く)
そんな強者の中でも、俺の年齢で俺のように小2からジャッキー映画を欠かさず劇場で見てる人は意外に少なく、
小学生のとき、ジャッキー・チェンのサッカーを見に行ったのは、俺だけっぽい(冷静に考えると環境の影響もあるよな)。

Kさんなんて俺より年上の風貌だが(少なからず30代ではないはず)、
ジャッキー・チェンに目覚めたのは『ナイスガイ』からと言っていた。
うそだろ、その頃は俺は大学生で、こっちは覚め始めた時期だわ。
それって、プロレスで言ったら、三銃士・四天王世代だわ。

そんなこんなで、ジャッキー・チェンがもし亡くなったら、この人たちと香港行きたいなー。

 

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ジャッキー・チェンとは ~ジャッキー映画の歴史~

<<ジャッキー・チェンとは ~ジャッキー映画の歴史~>>

1954年4月7日生まれ(※2018年現在64歳)。本名、陳港生。
貧しい家庭の事情で、中国戯劇学院に7歳から預けられ、京劇と中国武術を10年間学ぶ。
ジャッキー・チェンは、この時、文字の読み書きを学ばず、スターになるまで読み書きができなかったと言われている。

17歳で学院を卒業後、スタントマンとして生計を立てるが、ブルース・リーの死後、仕事が激減し、父のいるオーストラリアでコックなどの仕事に就く。
そのような状況の中、(後にジャッキー・チェンのマネージャーになる)ウィリー・チェンの推薦で、ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』を監督したロー・ウェイの『新精武門(レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳)』で主演を果たす。
その後、ロー・ウェイ監督作品『少林寺木人拳(1976年)』『成龍拳(1977年)』『拳精(1978年)』などが香港で公開されるが、ことごとくコケる。

ジャッキー・チェンは、ロー・ウェイプロの「疫病神」とまで言われ、シーゾナル・フィルム社に2本契約でレンタルされる。
シーゾナル・フィルム社で、ユエン・ウーピン監督と作ったのが、『スネーキーモンキー蛇拳(1977年)』と『ドランクモンキー酔拳(1978年)』であり、
今まで暗い復讐劇が多かったカンフー映画に、笑いの要素を取り入れ、映画は大ヒットする。
(ちなみに、ユエン・ウーピン監督は、後に『マトリックス』のアクション指導を務め、ハリウッドにアクション革命を起こす。)

日本でも『ドランクモンキー酔拳』は、東映配給で『トラック野郎・熱風5000キロ』と同時上映され、スマッシュヒットとなる。
それを受け、過去作が、続々と日本公開された。香港ではウケなかった『少林寺木人拳』だが、『少林寺木人拳』はTV放映翌日に日本中の子供たちが木人のマネをするなど、ジャッキー・チェンは、日本でも新たなカンフー映画スターとしての地位を築く。

アジアのスターになったジャッキー・チェンは、ロー・ウェイプロからゴールデン・ハーベスト社に移籍をしようするが、
契約の問題で揉め、ジャッキー・チェンはトライアッズ(香港マフィア)に拉致までされる。
それを解決してくれたのが、ブルース・リー登場以前に天皇巨星とまで言われ黒社会の人間であるジミー・ウォングである。
その恩があり、ジャッキー・チェンは、ジミー・ウォングの珍作(『ドラゴン特攻隊(1982年)』『炎の大走査線(1991年)』)にノーギャラで出演している。

ジャッキー・チェンは『クレイジーモンキー笑拳(1979年)』で、監督業にもチャレンジし、確実にキャリアを重ねる。
ゴールデン・ハーベスト社に移籍し、監督・主演した『ヤングマスター/師弟出馬(1980年)』は、当時の香港の史上最高額の興行収入を記録し、
ジャッキー・チェンカンフー映画・香港映画の頂点を極めた。そして、この『ヤングマスター/師弟出馬』を最後に、「脱カンフー映画宣言」をする。

ブルース・リーを世界的スターにしたゴールデン・ハーベスト社のレイモンド・チョウ社長は、
ジャッキー・チェンを「アジアのジャッキー・チェン」から「世界のジャッキー・チェン」にしようと試みる。
その世界進出第1弾が『バトルクリーク・ブロー(1980年)』である。監督はあの『燃えよドラゴン』のロバート・クローズ、音楽はラロ・シフリン
と最高の陣営で挑んだ世界進出だが、映画はコケる。

ジャッキー・チェンは『バトルクリーク・ブロー』の直後、ハリウッドで活躍するスターを集めてゴールデン・ハーベストと20世紀フォックスが製作した『キャノンボール(1980年)』に出演。
日本人レーサー役を演じたジャッキー・チェンだが、ハリウッドスターの中で雑な扱いを受けたことを、自伝で嘆いている。
(だが、ジャッキー映画でおなじみのエンドロール時のNG集は、この映画をヒントとしている。)

続く(かもしれない)。

 

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