プロレス日記<2015/04/17>
2015/04/17
人は慣れる生き物だし、人は日々の暮らしを守ろうとする。
反面、人は飽きる。
毎日ロボットのように同じ日々を過ごすことは、退屈である。...
俺は、人は贅沢な生き物で、
世の中には、緩急のようなメリハリが必要だと思っている。
それがエンタメであるならば、なお更、重要なことである。
コース料理に、前菜があってメインディッシュがあるように、
お笑いに、フリがあってオチ(ボケ)があるように、
物語に、起承転結があるように、
猪木の試合が、風車の理論であるように、
武藤の試合の前半10分がグランドのように、
それぞれが最高のクライマックスを提供できるよう、
その前には、絶対に前フリのようなものが存在する。
一般人である俺らだってそれを知らないうちに実践している。
特に恋愛に関しては、それが如実にあらわれる。
スキスキで押し切るのではなく、少し突き放してみたり、
オシャレなお店ばかりではなく、路地裏のきったねえ名店に行ってみたり、
そんな駆け引きのようなことがあるからこそ、
恋愛に夢中になってしまったりする。
(余談だが、突き放す余裕があるから、
彼女がいる奴のほうがモテたりする)
さて、新日の話をすると、
新日復興の立役者、棚橋は言う。
「会場に足を運んだファンに来てよかったと思わせて家路に着かせる。
今の時代、ファンは気長に付き合ってくれないという現実がある。
一発必中で満足させなければ他のエンタメに行ってしまう」
そのような話をしている。
別に間違ってはいないと思う。正論だと思う。
実際にそれを実践し、プ女子という新規ファンまで開拓した。
また、お笑い芸人でコラムニストのプチ鹿島に
「新日本プロレスを「喜怒哀楽」で例えるなら、
猪木は「怒」と「哀」 で勝負してきた。
残りの「喜」と「楽」を棚橋が現在やっているのだ」
と、猪木との表裏一体説を主張され、棚橋も喜んだらしい。
今風に(2015年4月現在)言うと、
ちょちょちょっと待って、お兄さん!と思う。
そんな「喜」と「楽」だけを提供し、
毎回毎回ファンを満足させるなんて、
これが恋愛なら、飽きられて、フラれるぞ。
山の天気と女心だけは変わりやすいからな。
何度も裏切られてきた猪木を、俺らは愛している。
交際相手に背中を刃物で刺された棚橋なら、
その意味を理解できると思う。